東京の河川


入間川(いるまがわ)

日本河川管理コード
[関東][一級河川を含む単一水系域][三次河川][多摩川水系]
最終更新
2005/06/08
種別
自然河川,
名前
入間川(いるまがわ)
中仙川(なかせんがわ)
一名大川(いちみょうおおかわ?)
看板
記録
[1] 写真。調布市深大寺東町8-13の丁字路にひっそりこのようなものが立っている。よく見ると、「入間川(大川)源流地跡」と書いてあるだけではなく、この北側や南側に文字がびっしり書き込んであるのがわかる。おそらくこれをわざわざ立ち止まって読む人も少ないと思うので、こちらに記しておく。この辺を通りがかったらぜひご自身の目で読んでみてください。

南側の文

入間川は、一名大川ともよばれ、調布市深大寺東町(旧 諏訪久保)を源流地とし、野ヶ谷団地および三鷹市中原町を経て、東つつじヶ丘と若葉町の境を南に流れ、入間町で野川に合流する。総延長約五キロメートルにわたり、石器自体の昔から現代に至るまで、人々の生活に欠かせない重要な役割を果たしてきた。

この源流地は今でこそ道路や住宅地のため元の面影は見られないが、かつてしょうわのはじめ頃までは各所にお釜とよばれる湧水地があり、豊富な清水を湧き出していた。

北側の文

かつて入間川は、中世の頃まで世田谷区砧二丁目付近で仙川と合流し、多摩川にそそいでいた。慶長十六年(1611)六郷用水が完成するや、世田谷区喜多見でこれと合流した。

また入間川源流地帯は、安政二年(1855)の大地震で水涸れが起こった。その対策として明治四年(1871)深大寺用水が開設されるや、その東掘はこの地で川を挟んで二つに分かれて南下し、一部は野ヶ谷団地の南で入間川に合流するようになった。昭和四十二年(1967)野川の流路変更工事により、この川は入間町二丁目付近で野川と合流するにいたった。

北側の文を読んで混乱する。いったい昔はどんな流路だったのだろう。まったく想像できない。今だって、中央高速越えるまでははっきりしないというのに。
[2] 下流方向の写真。とりあえず、この記念碑が立っている道がそれらしいので進んでいく。
[3] 下流方向の写真。深大寺東町6-26,6-25付近。ここから左に突然歩道が現れる。しかも写真手前に写っているようなマンホールが歩道上にある。あやしい。また道路中央にもマンホールがあるが、そこから常時水が流れる音がしている。
[4] 下流方向の写真。深大寺東町4-24付近。ここにも歩道にマンホールの蓋が。
[5] 下流方向の写真。深大寺東町3と4の間の原山交差点部分からようやく、それらしい遺構、暗渠が出現する。
[6] 下流方向の写真。深大寺東町3-26,3-27を流れる。この先で中央高速と交差する。
[7] 下流方向の写真。中央高速の下を横断する。なんと水路が土で埋まりつつある!
[8] 下流方向の写真。不思議なことに河川は中央高速に沿って北東へ進む。これは中央高速から南へ離れる直前の部分から。突き当たり部分は崖。手前からおそらく中央高速をまたいできたささやかな湧水が流入している。

[9] 写真。

中央高速道路との交差付近。左中ほどから斜めに流れ込んで来ている細い筋が入間川。従来の流路はいったん高速道路南に抜け、それから北側をぐるっと蛇行して南に抜けていたことがわかる。現在の流路は高速道路の南に抜けた後、高速道路に沿った流路になっている。

[10] 上流方向の写真。中原4-18,4-20の間の道路から上流。水路の中まで草ぼうぼう。
[11] 下流方向の写真。同地点から下流。ここからつつじヶ丘駅付近まで中仙川遊歩道が入間川上にできている。
[12] 下流方向の写真。中原4-20?,22?付近。河川があるとはとても思えない。単なる歩道と化している。
[13] 下流方向の写真。中原4-5。ここでいったん道路との並走はおしまい。この先交差する道と高さをあわせるため、遊歩道はいったん登る。
[14] 下流方向の写真。道路と交差して降りてきた遊歩道はここでまた一般道と並走する。中原2-23。
[15] 下流方向の写真。中原2-21。25000分の一の地図ではここから手前の道路を通って、入間川支流(中原公会堂)(いるまがわしりゅう(なからはこうかいどう))へ流路を進めていることになっている。おそらく現在の流れはそうなっているのだろう。しかしそれを無視して古きよき流れを追う。
[16] 下流方向の写真。ここで道路との並走はおしまい。この後左の崖に沿って進む。
[17] 下流方向の写真。遊歩道は少し坂を上って崖の上から降りてくる道に合流する。実際の流れは坂を登ることはできないので、現在家が建っている部分、つまり崖下左側を進んでいたようだ。この先突然歩道が広くなるところがある。
[18] 下流方向の写真。甲州街道滝坂下交差点直前で突然流路を東に変更する。しかしこの先ですぐ甲州街道にぶつかる。このまさに正反対の方向から、地図上では入間川支流(西つつじヶ丘2)(いるまがわしりゅう(にしつつじがおか2))が合流している。
[19] 下流方向の写真。いったんは甲州街道と並走する形にはなるが、すぐに北に向けて蛇行する。
[20] 下流方向の写真。左手にあやしい道を発見。これは支流?追ってみた。
[21] 下流方向の写真。中原1-9の北側から甲州街道方向。つまり下流を見ていることになる。ここから上流はわからなかった。もっともここからさらに上流方向に向かおうとすると中仙川に合流してしまう。
[22] 上流方向の写真。次の道路から上流。
[23] 下流方向の写真。同地点から下流。この先で先ほど分岐した部分に合流する。元に戻る。
[24] 下流方向の写真。再び左に合流河川がある。これは入間川支流(中原公会堂)(いるまがわしりゅう(なからはこうかいどう))である。現在はこの支流のほうが本線とされているらしい。
[25] 下流方向の写真。同地点から下流。先に見えている道路は甲州街道。
[26] 下流方向の写真。甲州街道を渡って下流。上流端の看板が見える。また水路がずいぶん深くなっている。ここでも基本的に右は崖で、それに沿って進む。
[27] 上流方向の写真。京王線を越えた直後の道路から上流。かなり流路が太くなっている。
[28] 下流方向の写真。同地点から下流。でも水は少ない。
[29] 下流方向の写真。東つつじヶ丘2-39?。川は右から左、奥へ、そして右に流れていっている。この先に武者小路実篤記念館がある。
[30] 上流方向の写真。いったん本流を離れる。武者小路実篤記念館には武者小路実篤公園が併設されている。その崖上の中ほどにある道路からその公園内を望むと池があることがわかる。湧き水がたまったものだろうか?
[31] 下流方向の写真。それは下に流れ再び池になっている。
[32] 下流方向の写真。さらにその水はマンホールにおち左の道の下を進んでいっているものと思われる。その先の合流地点は不明。おそらくそのまま下水処理されてしまうのではないかと思われる。ちなみに右手の敷地は記念館。
[33] 下流方向の写真。世田谷区若葉町3と入間町2の境の道路から下流。この後しばらくして野川と合流する。
[34] 上流方向の写真。野川との合流点。向かいが入間川。ここまで来るうち途中で何度も、蓋に穴のあるマンホールから少なからぬ量の水が常時流れている音を聞いた。もしかしたら、この河川流域は今も湧き水は比較的豊富なのではないのだろうか?今はそれが直接下水に流されているから入間川の水が少ないのかもしれない。
この河川に対する接続状況
  右岸 [源流]
左岸  
 
   
 
   
 
入間川支流(西つつじヶ丘2):[訪問記]
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
入間川支流(中原公会堂):[訪問記]
 
   
   
 
左岸

右岸
野川:[訪問記]

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非力な PC の場合、地図描画に時間がかかることがあります。特に IE は処理が遅いです。逆に Opera は爆速です。ただ Opera はスライド表示のとき表示範囲が妙にずれることがあります。

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