東京の河川


玉川上水(たまがわじょうすい)

日本河川管理コード
最終更新
2006/04/30
種別
上水,
名前
玉川上水(たまがわじょうすい)
看板
記録
[1] 羽村市玉川1での写真。開削者とされる玉川兄弟の銅像。

徳川幕府が江戸で開かれて以来、江戸は発展し続けた。その結果、水が不足はじめた。当初は神田上水などを開通させ、赤坂溜池の水(溜池上水)とともに使用することでそれをしのいでいたが、それも限界に達し、根本的な解決法が必要になった。

そこで幕府は、四代将軍家綱の時代 1952年(承応1年)に多摩川を水源とする上水を作成することとした。その調査を玉川庄右衛門・清右衛門兄弟に命じ、調査結果から作成された計画を元に、1653年(承応2年)/04/04 に工事を着工、七ヵ月後の 11/15 には、四谷大木戸まで工事を完成させた。取水口のある羽村から水を流したところ、見事に四谷大木戸まで流れたとのことである。

上水記には、このように玉川兄弟が玉川上水の開削者であると書かれているが、他の幕府の公式記録から、実際の開削者は玉川兄弟ではなく、別の者であるという説を唱える人がいる。工事は玉川兄弟が独力で行ったのではなく、よそ土木工事の識者に協力してもらったりしている。経路の選定に当たっては一発で成功したわけではなく、経路を何度か誤り、そのたびに新経路を設定していた。


[2] 羽村堰を望む写真。(クリックで拡大) 写真奥から流れてきた多摩川(たまがわ)の水が、この羽村堰にぶつかり、写真右奥にある第一水門に導かれ、玉川上水が開始する。余水は写真右の小吐水門から排出される。洪水のときは、堰にある水をせき止めている横に並べられた材木(投渡木)をどけることで、水をそのまま下流に流すことが出来る。

[3] 小吐水門を望む上流方向の動画。多摩川の水が流れ出ている。かつて多摩川の水が、全量玉川上水に取られて、この羽村堰から下流にある平井川(ひらいがわ)まで干上がっていたことがあったが、市長の頼みにより、一部の水をこの吐露口から返すことになった。現在ではごらんのように流れが復活している。

[4] 水門を望む写真。小吐水門(余水吐露口)はこの写真のさらに左にある。(クリックで拡大)玉川上水の開始である。左奥から第一水門を通して、多摩川(たまがわ)の水が入ってくる。この水門を閉じたり開いたりすることで、玉川上水に入ってくる水の量を調整している。

[5] 前記場所と同地点の第二水門での下流方向の動画。大量の水が取水されているのがわかる。

[6] 前記場所から230m程進んだ玉川1-2、羽村橋での下流方向の写真。写真中央やや奥に、左右に通っているパイプが見える。

[7] 前記場所から90m程進んだ地点での右岸から先ほどのパイプを望む写真。

[8] 下流方向の写真。これは何かと思い、反対側をのぞくと...!!!この通り。どうみても水路である。先ほどのパイプは、この分水口をつぶして作られたと推測される。とするとこの分水口は何かということになるが...。この後、この流れは玉川上水に沿ってしばらく開渠で流れた後、多摩川の方向に暗渠または埋め立てられて流れていってしまう。

[9] [7]から100m程進んだ地点での下流方向の写真。なにやら設備が見えてくる。手前の設備を見るとどうやらごみとり施設のようである。流れは左下から右中へ進んでいる。よく見ると右中に水門が見える。あそこで水をせき止めるようだ。では水をせき止めたら、その水はいったいどこに流れるのか。さらに写真をよく見ると正面中央付近にはさらに巨大な水門、第三水門が見える。

[10] 前記場所と同地点での下流方向の写真。別の角度から見た第三水門。実は、この第三水門から村山・山口貯水池 (多摩湖・狭山湖)に水が送水されているのである。写真をよく見ると第三水門の奥は崖になっており、そのままでは水が通らないように思えるがそのとおりである。ここから全て地下トンネル(羽村線)で湖までつながっている。ちなみにこの羽村線は多摩湖や狭山湖を作るとき、資材運搬のために引かれた鉄道の廃線跡を利用している。

[11] 前記場所から160m程進んだ羽村大橋での下流方向の写真。

[12] 前記場所から170m程進んだ堂橋での下流方向の写真。

[13] 前記場所から330m程進んだ福生市と羽村市の境界付近での下流方向の写真。このような水門を見つけた。どこにつながっているのかと、右方向を見ると...

[14] 前記場所と同地点での下流方向の写真。まっすぐ多摩川(たまがわ)に落ちているようである。余水を多摩川(たまがわ)に落とすためのほう水路だろうか。それにしても、分水したときは多摩川(たまがわ)と同じ高度だったはずなのに、ずいぶん高度に差がついたことがわかる。この後、多摩川(たまがわ)左岸の崖の上に登るために、深く水路を掘って進んでいく。

[15] 前記場所から230m程進んだ新堀橋での下流方向の写真。以前までの写真では、右岸にはほとんど高さがなかったが、この写真でわかるとおり、右岸がかなり高いところにあることがわかる。多摩川(たまがわ)左岸の崖に沿った部分から、崖の中、奥方向に進んできた。右岸には福生加美上水公園がある。流路を離れ、公園方向に行ってみると、本用水がもはや崖の下ではなく、上のふち部分を流れていることが確認できる。

[16] 前記場所から290m程進んだ無名橋での下流方向の写真。

[17] 前記場所から260m程進んだ福生1180、宮本橋での下流方向の写真。

[18] 前記場所から150m程進んだ地点での下流方向の写真。玉川上水(田村分水)(たまがわじょうすい(たむらぶんすい))が右岸から分水する。

[19] 前記場所から60m程進んだ下流の宿橋での上流方向の写真。玉川上水(田村分水)(たまがわじょうすい(たむらぶんすい))の堰を見たところ。

[20] 前記場所と同地点の宿橋での下流方向の写真。左に見える道路は、自動車の通行が多いわりに歩道が整備されておらず、往来が危険となっている。

[21] 前記場所から140m程進んだ多摩川にかかる永田橋を渡るためか、自動車の往来が非常に多い新橋付近での下流方向の写真。ゆったりした流れが続く。

[22] 前記場所から420m程進んだ清厳院橋での下流方向の写真。左に謎の細い水路が見える。何のための水路のなのか不明である。

[23] 前記場所から250m程進んだ多摩川にかかる多摩橋へ続く熊野橋での下流方向の写真。まったりした流れが続く。先ほどあった左岸の細い水路はもはや見られない。

[24] 前記場所から180m程進んだかやと橋での下流方向の写真。地図では、ここから崖下に水路が分水しているかのように書かれているが、そのような痕跡は見当たらなかった。

[25] 前記場所から270m程進んだ牛浜橋での下流方向の写真。この橋の道を左方向に数百メートル進むと、青梅線牛浜駅に出る。

[26] 前記場所から240m程進んだ地点での下流方向の写真。玉川上水(熊川分水)(たまがわじょうすい(くまがわぶんすい))が右岸から分水する。写真は分水のための堰。写真撮影地点の真下あたりを、分水路は流れる。

[27] 前記場所から110m程進んだ下流の青梅橋での熊川分水用の堰を望む上流方向の写真。

[28] 前記場所と同地点の青梅橋での下流方向の写真。右岸方向にしばらく進んでいくと、すぐ奥多摩街道にぶつかりその下は崖になっている。

[29] 前記場所から160m程進んだ新奥多摩街道が本用水と交差するための福生橋での下流方向の写真。

[30] 前記場所から200m程進んだ山王橋での下流方向の写真。奥に青梅線の鉄橋が見える。右岸方向に少し進むと五日市線熊川駅に出る。

[31] 前記場所から240m程進んだ青梅線をくぐって始めての橋、五丁橋での下流方向の写真。この橋を右に進み、青梅線と交差する直前で、線路沿いの道に左折し、しばらく進むと、水喰土公園(みずくらいどこうえん)に出る。場所的には、この写真の正面、木が茂っている付近である。

参考資料

  • 終点: 四谷大木戸(よつやおおきど)
  • 野火止用水の前に、残堀川からの助水が合流する。
この河川に対する接続状況
多摩川 右岸

左岸
  右岸 左岸  
 
   
 
   
 
玉川上水(田村分水)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(熊川分水)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(拝嶋村)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(殿ヶ谷新田)
 
   
 
   
 
玉川上水(柴崎村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(砂川村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(源五右衛門分水)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
野火止用水
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(新堀用水):[訪問記]:明治3年(1870)から供用開始
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(小川村)
 
   
 
   
 
玉川上水(平兵衛新田)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(中藤新田)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(旧小川村):この分水口は付け替えられた
 
   
 
   
 
玉川上水(榎戸新田)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(鈴木新田)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(国分寺村)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(大沼田新田)
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(野中新田)
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(田無村)
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(鈴木新田)
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(関野新田)
 
   
 
   
 
玉川上水(下小金井村):[訪問記]
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(下小金井新田)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(梶野新田):[訪問記]
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
千川上水
 
   
 
   
 
玉川上水(境村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(品川用水)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(無礼村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(烏山村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(上北沢村)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(下高井戸村)
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(幡ヶ谷村)
 
   
 
   
 
玉川上水(三田用水)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(淀橋水車):神田上水への助水
 
   
 
   
 
玉川上水(原宿村)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(千駄ヶ谷 戸田因幡守抱え引取候上水分水口)
 
   
 
 
   
 
   
 
玉川上水(四谷内藤宿 内藤大和守下屋敷え引取候上水分水口)
 
   
 
 
   
 
   
 
 
   
 
玉川上水(四谷内藤宿 田安御下屋敷)
 
   
   
 
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非力な PC の場合、地図描画に時間がかかることがあります。特に IE は処理が遅いです。逆に Opera は爆速です。ただ Opera はスライド表示のとき表示範囲が妙にずれることがあります。

話題

2022/07/24
 壊れてゐる所があったので修正。

2022/02/20
 flash サポート終了に伴ひ動画が動かなくなってゐたので、webm 形式の動画に変更して再び見えるやうにした。ただし video タグをサポートしてゐるブラウザでしか再生することが出来ない。

2022/02/13
 地図復活。GoogleMaps がまた API を変更して動かなくなったので、今度は OpenStreetMap + leaflet に切り替へ。

2022/01/23
 サイトを https 化しました
 リンク集を更新しました。一つを除いてすべてリンク切れと言ふすごい状況。

2018/06/24
 狭い画面でも見やすく表示できるやうにした

2011/07/10
 リンク集のリンク切れを修正

2007/07/14
 Javascript 有効時、IE6 以下でも河川名の部分のメニューが出るようになった。

2007/03/11
 GoogleMaps を v2 API に移行させた時に失われた、スライド表示時の番号クリックでの該当記事移行機能の復活

2006/05/20
 GoogleMaps を v2 API に移行させた

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