| ↓[1] 下流方向の写真。府中市新町2-54,55付近の行き止まりの道路から東(下流)。くぼ地を追ってくるとここにきた。最上端かどうかはわからない。この先、下流に行くと...。
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| ↓[2] 下流方向の写真。道路に当たり、奥にあやしい小道がある。ちなみに写真左右(北南)に通っている道路の最も低い箇所がこの地点である。
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| ↓[3] 下流方向の写真。小金井市前原町5-2付近。先ほどのあやしい道をたどっていくとここに出る。道路右にやたら植物が植わっている箇所がそれと思われる。この先で小金井街道と交差する。
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| ↓[4] 下流方向の写真。前原町5-4。小金井街道との交差部分。左手方向に東京工学院専門学校がある。この先から河川であることが明確になる。1956年頃の地図では、この写真手前付近にため池があり、そこがこの河川の源流になっていた。
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| ↓[5] 下流方向の写真。同地点。手前からきて直角に曲がって奥に流れていっている。手前の色の違うコンクリートは橋であるのがすぐわかる。この先すぐに新小金井街道と交差する。
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| ↓[6] 下流方向の写真。新小金井街道との交差点から下流。
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| ↓[7] 下流方向の写真。前原5-8付近。整備された道が続いている。この先で東八通りにぶつかる。
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| ↓[8] 下流方向の写真。東八通りを渡った北側の入り口。先ほどとはうって変わって道幅が狭くなる。この先東八通りに沿って蛇行する。
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| ↓[9] 下流方向の写真。前原5と前原4の境界の道路から。少々荒廃している趣がある。。
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| ↓[10] 下流方向の写真。再び、東八通りにぶつかる。この後この通りの下を暗渠で進む。
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| ↓[11] 下流方向の写真。しばらくすると北側に再びあらわれる。これ以降、東八通りと交わることはない。この後、写真奥に見えている部分から先は、蓋をされて上を通れそうになって入るが、ブロックされていて通行できないので迂回してすすむ必要がある。
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| ↓[12] 下流方向の写真。多磨霊園から北西に進む道路を少し脇に入った部分の道路から。このブロックが唯一この河川が開渠になっている区間である。
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| ↑[13] 上流方向の写真。先ほどの流れがやってきて、
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| ↓[14] 下流方向の写真。多磨霊園から北西に進む道路に沿って流れていく。しばらく沿って流れた後、この道路を反対側に横断して、野川の方向に流れていく。再び暗渠となる。
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| ↓[15] 下流方向の写真。前原1-13付近。締まった砂地の道が始まる。
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| ↓[16] 下流方向の写真。こんなに狭い河川なのに、都市河川らしく90度直角ターンもある。
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| ↓[17] 下流方向の写真。流れに身を任せていると前原2-12で道路につきあたる。写真右から左に流れているのは旧野川で、本来のこの河川はここが合流点であった。
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| ↓[18] 下流方向の写真。遊歩道は旧野川の上を写真右から奥方向に続いている。写真奥方向に進む一般道路はこのあと登りになり、遊歩道はその崖下を進むという地形になる。
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| ↓[19] 下流方向の写真。前原2-13。ささやかな崖から離れ、進路を北に変え野川に近づく。
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| ↓[20] 下流方向の写真。前原2-14。北東に向けて流れていく。写真左から合流している流れがある。地図にも一部水路として書かれている。これを追ってみた。
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| ↓[21] 下流方向の写真。すると先ほどの水路はほぼ一直線で、前原2-10,2-22付近の所まで伸びていることがわかった。これはそこから下流方向を写したものである。昔の野川の水を引き入れるための農業用水路だったのだろうか?元の道に戻る。
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| ↓[22] 下流方向の写真。前原2-14,2-18付近。道路の中ほどに遺構が残っているのがわかる。
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| ↓[23] 下流方向の写真。前原2-15,2-17付近の十字路。ここでは完全に舗装道路になって流路は定かではなくなる。過去の航空写真によるとここから野川方向にまっすぐ落ちるショートカットの水路があったようだ。
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| ↓[24] 下流方向の写真。これがその水路だったと思われる道。
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| ↑[25] 上流方向の写真。おそらく本来の流れはそのまま道方向に進み、武蔵野公園の最も西にかかる橋付近で現在の野川右岸に合流していたものと思われる。野川は写真では右から左に流れている。
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