東京の河川


野火止用水(のびどめようすい)

日本河川管理コード
最終更新
2006/01/30
種別
上水,
名前
野火止用水(のびどめようすい)
玉川上水(野火止用水)(たまがわじょうすい(のびどめようすい))
伊豆殿堀(いずどのぼり?)
看板
記録
承応3年(1654年)に玉川上水(たまがわじょうすい)から分水された。

東京都小平市中島町の西の端、1丁目付近ある小平監視所。ここで、玉川上水(たまがわじょうすい)を経由して送られてきた水から、大きなごみを取り除き、それを東村山浄水場に送る。そのための水路として、本用水の一部が利用されている。この施設のさらに奥のほうから分水する。

写真:上流→下流

分水したところ。とは言っても実際は分水ではなく、全ての水がこの地下を通って送水されている。本用水は、この後小平市と東大和市/東村山市の境界を流れる。見てのとおり、用水路はすでに埋め立てられ、暗渠化されている。

写真:上流→下流

少し進むと、このように舗装された道が現れ、上を歩いていけるようになる。西武拝島線を左に見ながら、先、東方向に進む。

写真:上流→下流

500mほど進むと、進路を北東方向に変える。

写真:上流→下流

700mほど進み、東大和市駅の東端付近で青梅橋の交差点に出る。ここにはかつて青梅橋という橋があったとのこと。看板の内容は以下の通り。

青梅橋

青梅街道が野火止用水(現在暗きょになっている。)と交差するところにかかっている橋を青梅橋(おうめばし)と言いました。

この図は武蔵国(むさしのくに)多摩郷(たまごうり)御岳山(みたけさん)道中記、御岳菅笠(みたけすげがさ)にある江戸時代の青梅橋の状況を表わした木版画です。

なお、さきごろまで駅名など(西武拝島線青梅橋駅、現在は東大和市駅)に使われていました。

同じ場所にもう一つ看板がある。その内容は、失われつつある地名と風景に付いて述べてあるが、この看板自体が風化し、それを補強しているのが物悲しい。

青梅橋を越えると再び暗渠が続いている。高架を進む西武拝島線と交差して、そのまま北東に進み続ける。

写真:上流→下流

一部が自転車置き場にもなっている暗渠区間を、しばらく進む。栄町1-6付近で突然このような親水公園仕様になる。

写真:上流→下流

どこから水が出てきているのかと、右の部分を覗き込んだところ。よく見えない。これはどこの水だろうか?

写真:下流→上流

このような親水公園仕様でしばらく進むと突然終わりが来る。栄町1-11付近、栄町のちょうど北端付近である。暗渠の上を流れる水路上を流れる水が奥に見える柵に吸い込まれる。

写真:上流→下流

吸い込まれた反対側に、北東に進む道が続いている。しかし、これは東村山浄水場への水路で本用水ではない。本用水は写真右、南東方向に向きを変える。

写真:上流→下流

その傍らにこのような記念碑があった。

そしてその反対側から水が出ていた。

写真:下流→上流

同地点から下流方向。素彫りのままの水路が現れた。この水は玉川上水(たまがわじょうすい)を流れてきた水ではなく、下水処理水である。そのため少しにおいがする。この区間からしばらくは野火止緑地として保護され、当時の林の中を流れる趣が残されている。それゆえ、日が落ちた後ここを通るのには少し危険かもしれない。

写真:上流→下流

少し進み、東大和市新堀3-27を望む。本水路の両側に林が続いているのが見える。

写真:上流→下流

少し進み、再び北東に流れを変えた後、小さな橋がかかっていた。写真を見てわかるとおり右岸に降りられるようになっている。ただ、ここで水遊びをしてもよいくらい、大腸菌などが除去され、水質が改善されたのだろうか...。

写真:上流→下流

そこから、すぐに道路と交差する。そこにかかる橋から下流、新堀2-1097を望む。すっかり両岸をコンクリートで固められてしまっている。この橋のたもと、写真左に、かつての用水路跡と見られる水路が合流している。

写真:上流→下流

これがそれ。落ち葉などで半ば埋まってしまっている。奥に見える赤い柵のところが本用水。この新堀3-18の区間だけ、なぜか残っている。保護区域なのだろうか?

写真:上流→下流

先ほどの写真に見える橋の上から下流方向。まっすぐ水路は続く。

写真:上流→下流

しばらく進み新堀1と新堀2の境界道路のための橋から下流方向。両側は住宅地である。

写真:上流→下流

次の橋から。木が生い茂る。

写真:上流→下流

先ほどの橋からしばらく進んだところから最後の緑地帯になる。ここはその最も上流側にかかる橋から下流方向。小平市栄町3-17。

写真:上流→下流

しばらく進み緑地帯を抜ける。小川西町1-26付近の橋から。

写真:上流→下流

しばらく進み、次の道路との交差部にかかる橋から下流...。埋まっている...。なぜかここからしばらく暗渠になる。左は狭いが公園になっている。明治学院中学/高校の前を流れる。

写真:上流→下流

明治学院を抜けたところから再び開渠になる。小川西町3-1。右岸に狭い道が続いている。

写真:上流→下流

しばらく進み、次の橋、東村山第一中学校の東を通る道路にかかる橋から下流方向。あいかわらずの流れ。

写真:上流→下流

しばらく進み、小川西町3-24付近にかかる橋から。いい雰囲気だ。

写真:上流→下流

さらにしばらく進むと西武国分寺線と交差する。交差したところから下流方向。

写真:下流→上流

さらに少し進むと、八坂の交差点に出る。ここは昔、九道の辻とよばれていた場所であった。その名の通り、九本の道がここで交差していたのである。それを示した看板が、本用水が交差点にぶつかる直前の右岸にあった。その看板の横には詳しい解説が記してあった。

ここ九道の辻は、旧鎌倉街道のほぼ中間で、鎌倉へ十八里(七十二キロメートル)、前橋へ十八里(七十二キロメートル)の地点にあった。

江戸道(えどみち)引股道(ひきまたみち)宮寺道(みやでらみち)秩父道(ちちぶみち)御窪道(みくぼみち)静戸道(きよとみち)・奥州街道・大山街道・鎌倉街道の九本の道が、この地に分岐していたことから、九道の辻という名がついたもので、この辻の付近は、野火止用水が開通されるまで、広漠(こうばく)たる原野の中にあったといわれる。

明治以降の交通機関の発達に伴う道路の改変は、この辻にも例外なく、往時の九道の辻の姿は今は全く消え失せてしまった。

昭和六十三年十一月

現在の状況はこうである。まず本用水は、写真左中央付近からそのまま、左奥正面方向に向かって流れている。そして道路に関しては、(1)写真左下から交差点に向かう道路、(2)写真右から交差点に向かう道路(府中街道)、(3)写真右奥から交差点に向かってくる道路(江戸街道)、(4)本用水に沿って写真左奥正面方向から交差点に向かってくる道路、(5)写真左から交差点に向かってくる道路(府中街道)となっている。写真右に見える横断歩道を渡って、再び交差点に向く。

写真左から、右奥のほうに進んでいるのが府中街道である。本用水は、左の木のある辺りから、右中央の植木の奥を右に向かって流れている。道路に関しては、(6)写真正面奥から手前の交差点に向かってくる道路、(7)写真中央やや左にある信号機の左奥から交差点に向かってくる道路、の合計七本の道路がここに向かってきている。

八坂交差点(九道の辻)から下流方向。完全な三面コンクリート護岸になってしまう。奥に西武多摩湖線が見える。境界を流れるのはここまで。

写真:上流→下流

西武多摩湖線の高架下から下流方向。正面の橋の上を多摩湖自転車道路が左右に通っている。この下には多摩湖から境浄水場へ水を送るためのパイプが埋まっている。

写真:上流→下流

この河川に対する接続状況
玉川上水 右岸

左岸
  右岸 左岸  
新河岸川 右岸

左岸

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