東京の河川


玉川上水(新堀用水)(たまがわじょうすい(しんぼりようすい))

日本河川管理コード
最終更新
2006/02/12
種別
人工河川,
名前
玉川上水(新堀用水)(たまがわじょうすい(しんぼりようすい))
明治3年(1870)から供用開始
玉川上水(北側新井筋)(たまがわじょうすい(きたがわあらいすじ))
明治3年(1870)から供用開始
看板
記録

明治3年(1870)4月15日から玉川上水(たまがわじょうすい)に通船が許可され、玉川上水(たまがわじょうすい)の上を船が行き来するようになった。本用水は、分水口の整備の一環として、この時に玉川上水(たまがわじょうすい)の北側に掘られたもので、千川上水(せんかわじょうすい)までの計7つの分水口が、本用水から分水するように付け替えられた。また南側も玉川上水(砂川村)(たまがわじょうすい(すなかわむら))が延長され、同様に11分水口が付け替えられている。その後、玉川上水(たまがわじょうすい)(=飲用水) の水質汚染を理由に、明治5年(1872)5月30日で通船は禁止された。

本用水は、野火止用水(のびどめようすい)の取水口の下流隣接した箇所に取水口が設けられ、そこから胎内掘(地下トンネル)で、旧小川用水の開口部まで導水されていた。現在では、胎内掘は一部を除いて埋められてしまっている。

[1] 下流方向の写真。東京都小平市中島町1を野火止用水(のびどめようすい)(左)から望む。この右には小平監視所がある。かつては、この野火止用水(のびどめようすい)の取水口の下流隣接した箇所に本用水の取水口が作成されて、胎内堀で下流へ流されていたとのことだが、そこには小平監視所が作成されたため、その跡形はすでにない。現在でも、本用水は実際に利用されるため、玉川上水(たまがわじょうすい)の水が流されているらしい。写真正面に、いかにもという、あやしい土地があるので、野火止用水(のびどめようすい)のこの付近から、写真正面奥方向に導水のためのパイプが埋められているのではないだろうか。
[2] 前記場所から530m程進んだ地点での下流方向の写真。歩いていくと、こぶのような盛り上がった部分が規則的とも思えるような間隔で出現することに気づく。そして写真中央やや下に見える赤いものがいくつか埋められていることにも気づく。
[3] 前記場所と同地点での写真。拡大。「用水 地道」。用水路が地下に埋められているという確かな証拠を発見した...、だと粋なのだが、おそらく本当はこう読むのだろう「水道用地」。そしてそのすぐ先には...
[4] 前記場所と同地点での写真。このようなマンホールがあり、実際地下に菅が埋まっていることが確認できる。
[5] 前記場所から170m程進んだ地点での下流方向の写真。さらに進み、中島町6付近。ここでも打ち込まれた杭とマンホールがある。そして、その奥に鉄格子で囲まれた土地が見える。覗き込んでみると...
[6] 前記場所と同地点での下流方向の写真。縦穴が開いている!そして水の音がする。よく目を凝らすと水が流れている。
Movie
[7] 前記場所と同地点での下流方向の動画。暗い上に草が邪魔で見づらいが、水が実際に流れている映像。
[8] 前記場所と同地点での上流方向の写真。これは同地点を反対側から取ったもの。水が出てきている。ところで、現地調査したところ、現在胎内掘のために掘られた縦穴で現存しているのは四つで、これがその最上端の一つ。そして水が流れているのは、この縦穴と、最後の縦穴だけとわかった。いったい地下はどう接続されているのだろうか。ちなみに、胎内掘は、このような縦穴をある程度の間隔で掘り、その縦穴同士の地下をトンネルでつないでいる。
[9] 前記場所から130m程進んだ地点での写真。少し進むと同様の格子があった。中をのぞくと案の定、縦穴があった。これが二番目のもの。水の音はしない。
[10] 前記場所から10m程進んだ地点での下流方向の写真。そしてさらに進むと、なにやらあやしげなコンクリートがある。この幅と高さからして、縦穴にコンクリートで蓋をしてあるように見える。
[11] 前記場所から20m程進んだ地点での写真。そして少し進むと、三つ目の縦穴。水の音は全くしない。
[12] 前記場所から20m程進んだ地点での下流方向の写真。さらに数メールと進むと、最後の四つ目の縦穴である。水が流れていることが音と目視からわかる。
[13] 前記場所から30m程進んだ地点での写真。その縦穴から、数メートル下流に看板があった。この看板のすぐ後ろで、胎内掘は出口を迎え、旧小川用水を再利用した水路に接続する。看板は以下のように書いてあった。
小川分水と新田開発

承応(しょうおう)2年(1653)の玉川上水の開通は、江戸市民ののどを潤しただけではなく、武蔵野台地をも活気づけました。玉川上水からの分水によって飲み水が得られ、それまで原野だった場所が開拓されて人が住めるようになったのです。

小川村の新田開発が明暦(めいれき)2年(1656)に許可され、最初に行われたのが小川分水を掘る工事でした。小川村地割図(延宝(えんぽう)2年頃)に描かれているように、分水口は現在の東小川橋付近に設けられ、その大きさは一尺四尺(30.3cm x 30.3cm)でした。

文化4年(1807)には小川橋上流のこの地に分水口が付け替えられ、明治3年(1870)には玉川上水の北側に新堀用水(北側新井筋)が掘られます。野火止用水の取水口に接して新しい分水口が開かれ、小川分水から千川上水までの7つの分水口が埋められて1つの水路に統合されます。新しい分水口からここまでの900メートルは地下水路で、胎内掘(たいないぼり)とよばれています。


平成16年(2004)3月
小平市教育委員会
小平市生活文化部産業振興課
[14] 前記場所と同地点での上流方向の写真。看板の後ろに回ると、このようにトンネルが見え、水が流れ出てきていることがわかる。
[15] 前記場所と同地点での上流方向の写真。水辺に降りられるよう、簡単な工事がされていたので接近してみる。
[16] 前記場所と同地点での上流方向の動画。同地点からの上流側の動画。トンネル奥に明るい場所が見えるが、そこが一つ前の縦穴である。
Movie
[17] 前記場所と同地点での下流方向の写真。同地点から下流側。下水処理水のような変なにおいもない水が流れていく。
[18] 前記場所と同地点での下流方向の写真。土手をあがって同じく同地点から下流側。ここから次の橋、小川橋まで旧小川用水のために掘った水路を再利用している。
[19] 前記場所から110m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進むと小川橋がある。中島町の南東の端にかかるその小川橋の下を覗き込む。なんと分水口が残っていた!現在も使われているのか定かではないが、このように見えるようになっているのはよいことだと思う。左に進む水路は玉川上水(小川村)(たまがわじょうすい(おがわむら))であり、本用水は右の水路をまっすぐ進む。
[20] 前記場所から数m進んだ地点での下流方向の写真。小川橋から玉川上水(小川村)(たまがわじょうすい(おがわむら))の進んでいく方向を望む。この道路の方向に進んで行っているはずであるが、痕跡は残っているだろうか。
[21] 前記場所から210m程進んだ地点での下流方向の写真。小川橋から小平市小川町1に入ったところから、200mほどの間なぜか暗渠になっている。この写真はその暗渠から抜け出し開渠になったところ。
[22] 前記場所から230m程進んだ地点での下流方向の写真。それから 200m くらい進んだ東小川橋から。前述の看板によるとかつてはこの付近から玉川上水(旧小川村)(たまがわじょうすい(きゅうおがわむら))が分水していたらしいが、もはや痕跡は残っていないようだ。
[23] 前記場所から360m程進んだ地点での下流方向の写真。玉川上水(たまがわじょうすい)にかかるくぬぎ橋の地点から、本用水の下流方向。小平西高校の柵が左に見える。
[24] 前記場所から150m程進んだ地点での下流方向の写真。150m ほど進むと突然暗渠になる。そして写真奥で再び開渠になっている。本用水の両岸の道を行き来できるようにするためだろうか。ちなみに、この暗渠の手前でごみ取り用の柵があり、少し水がたまっているのだが、その水が少し汚くなっているのが残念である。
[25] 前記場所から320m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進み、玉川上水(たまがわじょうすい)にかかる寺橋の地点から、本用水の下流方向。左に朝鮮大学校がある。
[26] 前記場所から270m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進んだあたりから、このような三面コンクリート護岸になってしまう。この写真の左には上水公園がある。
[27] 前記場所から60m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進んだ玉川上水(たまがわじょうすい)にかかるいこい橋の地点から、本用水の下流方向。変わらずの三面コンクリート護岸。左の柵の奥はテニスコート。
[28] 前記場所から550m程進んだ地点での下流方向の写真。栄光橋をくぐり、しばらく進むと新小川橋にでる。その手前には人道橋の水車橋がかかっている。この橋の手前付近から、しばらく暗渠になる。
[29] 前記場所から180m程進んだ地点での下流方向の写真。新小川橋からしばらく進んだ、たかの台37付近から再び開渠になる。堀が深くなっているように見える。
[30] 前記場所から180m程進んだ地点での下流方向の写真。さらにしばらく進んだ鷹の橋から。目前にある鉄道は西武国分寺線である。奥に東鷹の橋が見える。左に少し進むと鷹の台駅に出る。
[31] 前記場所から30m程進んだ地点での下流方向の写真。西武国分寺線を越え、東鷹の橋から下流方向。津田沼町1-1、小平中央公園が左にある。写真正面やや左に何か立っている。
[32] 前記場所から20m程進んだ地点での下流方向の写真。拡大したもの。
[33] 前記場所から340m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進んで、府中街道が水路を越えるための久右衛門橋から下流。左に津田塾大学がある。
[34] 前記場所から130m程進んだ地点での写真。そして少し進むと、こんなものがあった。これはいったい何だろう。分水路跡か?
[35] 前記場所から120m程進んだ地点での下流方向の写真。そしてさらに少し進むと、本用水の右岸にこんな建物があった。建物に近づいて耳を澄ますと...、いや耳を澄ますまでもなくゴーという音がする。実はこの下に武蔵野線が通っており、電車が通るたびに音が聞こえるのである。津田沼町2-26。
[36] 前記場所から110m程進んだ地点での下流方向の写真。そしてちょっと進んだところの鎌倉橋から。
[37] 前記場所から260m程進んだ地点での下流方向の写真。左の団地を横目に、少し進んだところの小松橋から。道路が左に迫ってきた。
[38] 前記場所から160m程進んだ地点での下流方向の写真。少し進んだ、右岸方向、玉川上水(たまがわじょうすい)に旧小川水衛所跡が残っていた。
[39] 前記場所から160m程進んだ地点での下流方向の写真。そのすぐ下流の商大橋から。この区間は通路捻出のため暗渠になってしまっている。写真に見える通路の下を流れている。左に進むと一橋大学小平分校がある。
[40] 前記場所から120m程進んだ地点での下流方向の写真。さらにそのすぐ下流の一位橋から。前述の商大橋と本橋の間の左方向に平櫛田中館がある。
[41] 前記場所から420m程進んだ地点での下流方向の写真。そしてしばらく進み、桜橋と西武多摩湖線を超えたところ。見てのとおりここから先は痕跡がなくなってしまう。下流の分水された用水路に水が流れていることから、地下に水路が存在していることは確かなのだが、地上には痕跡は残っていない。文献では本用水は千川上水(せんかわじょうすい)まで続いていたとのことから、おそらく本用水の土地は残念なことに五日市街道の下り車線になってしまったのだろう。そのようなことから追跡はここまでとする。
この河川に対する接続状況
玉川上水 右岸

左岸
  右岸 左岸  
左岸

右岸
千川上水

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