| ○[1] 写真。武野神社。この参道右脇の部分から湧水が出ている。入り口の看板には以下のようにある。
武野神社(旧八幡社)
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江戸時代の初期に幕府によって作られた「正保の絵図」には、八幡社参道下の湧水とそこに祀られる弁天社が掲載されています。
新座市教育委員会
新座市文化保護審議委員会
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| ↑[2] 上流方向の写真。源流。左奥よりのビニールパイプのところから出ていたらしい。
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| ↑[3] 上流方向の写真。その拡大図。写真撮影時は水は出ているようには見えなかった。
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| ○[4] 写真。この右手にこのような穴がある。ここからも湧水が出ていたようだ。
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| ↓[5] 下流方向の写真。その水はここに注ぐ。近くで草むしりをしていたおじさんによると、10、20年くらい昔はビニールパイプのところや右手にある四角の穴の所からこんこんと水が湧き出していて、その水を飲んだりしていたとのこと。ところがいつのころからかこのような状態になってしまったらしい。災害時はここの水をあてにしようと思っていたのにと嘆いていた。(現在のような石積みやビニールパイプなどの護岸状態は行政の手によるものとのこと。当時は現在の状態のような護岸であったかどうかは不明。)
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| ○[6] 写真。野寺園釣堀。中沢川の水源と関係あるかは不明。
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| ○[7] 写真。流れは塀の部分に沿って、方向を変えて道路を渡る。
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| ↓[8] 下流方向の写真。そしてここから暗渠が開始する。なお大雨時にはここの手前の道路が水浸しになっていることがある。どうも水がたまりやすい地形のようだ。
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| ↓[9] 下流方向の写真。中沢川の暗渠部分はこのようにブロックが硬く、上を通ることができない。
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| ↓[10] 下流方向の写真。住宅地の間を軽く蛇行しながら流れていく。
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| ↓[11] 下流方向の写真。八石小付近。川は突き当たりで左90度カーブしていく。
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| ↓[12] 下流方向の写真。暗渠になっているにもかかわらず調整池があるようだ。建物は新座市立野寺集会所。空中にたっていることからもそれがわかる。
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| ↓[13] 下流方向の写真。もう少し進むと同じような空き地がある。ここも調整池のように見える。
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| ↓[14] 下流方向の写真。この先突き当たりでクランクになっているが...。
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| ↓[15] 下流方向の写真。クランクの入り口部分で中沢第二雨水幹線からオーバーフローした水を合流する流れがあるようだ。
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| ↓[16] 下流方向の写真。あいも変わらずの流れ。
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| ↓[17] 下流方向の写真。産業道路付近から。近くの看板によると、ここの流れは中沢用水とある。かつては用水路としても活用されていたようだ。
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| ↓[18] 下流方向の写真。片山小学校付近の道路から上流側を見る。この道路下を第二雨水幹線が左から流れてきてここで中沢川と合流する。その結果、
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| ↓[19] 下流方向の写真。このように河川の幅が太くなる。
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| ↓[20] 下流方向の写真。先の道路から少し進んだところ。また幅が広くなっている。この後関越自動車道路の下をくぐる。
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| ↑[21] 上流方向の写真。関越自動車道を抜けたところでつかの間の開渠となる。水量は比較的多いが、悪臭を放っている。生活廃水が混じっているようだ。
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| ↓[22] 下流方向の写真。同地点から下流側を見る。典型的な三面コンクリート護岸水路である。なお写真左奥、道路を挟んだ部分には...
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| ○[23] 写真。ダチョウ牧場がある。しかし何故こんなところにダチョウが...
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| ↑[24] 上流方向の写真。新座高校付近から。ここから再び暗渠となる。しかしこの先の流路が少々不明瞭である。
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| ↑[25] 上流方向の写真。先の開渠部分から黒目川に向かって一直線に道路が続いている。その出口付近に出水口がある。したがって、中沢川の出口はここのように思えるが、25000分の一の地図では新座高校の下を暗渠で渡り、中沢川支流(栄1崖下)を合流しているように書かれている。
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| ↑[26] 上流方向の写真。中沢川支流(栄1崖下)を合流した後の黒目川との合流直前地点。金網の奥に水路がある。
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| ↑[27] 上流方向の写真。黒目川との合流地点。写真手前がそれである(写真奥は妙音沢の大沢からの流れ)。ちなみに、写真に土嚢が写っているが、それはその手前の右岸の波打ち鉄板護岸が破損しており、その修復工事をしているためである。
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