| ○[1] 写真。小平市鈴木町1-448-12 にある鈴木小学校が接する新小金井街道の東側に次のような看板がある。
小平市鈴木遺跡は、市内鈴木町一丁目をはじめ、石神井川のみなもとに広く分布する旧石器時代(岩宿時代)の遺跡である。遺跡の発見は昭和49年(1974)6月にさかのぼり、現鈴木小学校建設中に江戸時代の水路跡、旧石器時代の石器が出土したことがきっかけとなった。
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小平市教育委員会・小平郷土研究会の看板より
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| ○[2] 写真。看板位置より小学校を眺める。ここの箇所、新小金井街道とその東側の小学校の部分は崖になっている。ここまで地下を流れてきていた水がここで現れたのではないだろうか。石神井川の源流はこの小学校の校長室の下辺りにあったらしいのだが、詳細は不明。
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| ↓[3] 下流方向の写真。崖下に降り、小学校の東側に回る。道路の低い部分に沿って移動する。流路は完全に消失しているが、最終的にはここ、鈴木町1-368-1 に出る。左手前から正面奥に流れていったと思われる。手前から奥は下水道。もしかしたら手前の道は支流だったのかもしれない。正面奥は小金井カントリークラブ。
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| ○[4] 写真。小金井カントリークラブ内を進む流れは、ここで小金井街道と交差する。小金井街道南から北を望む。左手の車出入り口から、右手の車線のアスファルトの色が変わっているところの下を流れていると思われる。
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| ↑[5] 上流方向の写真。その左手側に小金井カントリークラブの下を暗渠で流れてきたと思われる石神井川が出現している。しかしすぐ暗渠で小金井街道を渡る。
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| ↓[6] 下流方向の写真。小金井街道右手で、渡ってきた石神井川が姿を一瞬現すが、再び暗渠になって小金井カントリークラブをわたる。なぜかはわからないが、トンネルが二つあることがわかる。
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| ↑[7] 上流方向の写真。流れは小金井カントリークラブの北側に進む。嘉悦大学の敷地の南側でもある。花小金井南町2-8。ここは暗渠になっている。
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| ↓[8] 下流方向の写真。同じ箇所から下流を望む。
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| ↓[9] 下流方向の写真。少し進み、花小金井南町2と花小金井南町3の境界にある橋を望む。上流端の看板が見える。写真右に小金井公園がある。
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| ↓[11] 下流方向の写真。同橋から下流。まだこの辺では水量が少ないのか、溝に水がちょろちょろあるだけである。
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| ○[12] 写真。この橋のすぐ南東方向の小金井公園内になぜか池が二つある。これはその一つ。
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| ↓[13] 下流方向の写真。小金井公園を抜け、多摩湖自転車道路と交差する。そのつつみを渡るためトンネル。花小金井南町3-10。
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| ○[14] 写真。多摩湖自転車道路から撮影。左手看板のあるところから右側に流れている。ちなみに右手にある盛り土の部分は、多摩湖からの水が奥から手前に向けて流れている。
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| ↓[15] 下流方向の写真。つつみの上から下流側を眺める。
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| ○[16] 写真。しばらく進んだ西東京市芝久保町1-18にある市民芝久保運動場。このあたりから、石神井川の洪水を避けるための運動場兼調整池が増えてくる。
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| ○[17] 写真。調整池を望む。右手の口から左の口にたまった水が流れる。
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| ↓[18] 下流方向の写真。右手奥から左に流れる石神井川に調整池の水が手前から合流する。
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| ○[19] 写真。さらにしばらく進んだ、向台町5-4にある市民向台運動場もその一つ。
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| ○[20] 写真。運動場の入り口にはこんなプレートがあり、それを証明している。
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| ○[21] 写真。左手の低くなっているところから石神井川の水が入り、奥の真ん中やや右よりの部分から水が抜ける。
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| ↓[22] 下流方向の写真。その合流地点。左から奥が本流。右からの合流は調整池からの流れ。
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| ↓[23] 下流方向の写真。もう少し進んだ向台町4と南町5の境界。この辺は比較的川幅が広くなってきている。ただ不思議なことに水があったり、乾ききったりしている場所が出現する。また下水の流入が激しい。
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| ○[24] 写真。しばらく進む。南町1-3にある石神井川南町調整池。
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| ↓[25] 下流方向の写真。正面奥真ん中やや右から入り、左の奥に抜ける。左手前は手すりが写っている。
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| ↓[26] 下流方向の写真。合流点。手前から奥が調整池からの流れ。
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| ○[27] 写真。流れは、青梅街道と交差し、東伏見稲荷神社の南側を流れ、練馬区関町北3-45にある武蔵関公園に入る。
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| ↓[28] 下流方向の写真。武蔵関公園の南西の入り口付近から。この後、石神井川は武蔵関公園を取り囲むように流れる。大水のときは写真左手の部分から武蔵関公園内の富士見池に水が流れるようになっている。
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